ポーランドの蜂蜜酒の歴史と国家的意義
これらのテキストは、Apis社から許可を頂いて、公式サイトの記事を私自身で翻訳しているものです。
分かりやすいように超訳している部分もありますので、よろしくご了承下さい。
§ 王侯貴族の特別な飲み物だったポーランドの蜂蜜酒
ポーランドに居住するスラブ民族によって始められた蜂蜜酒作りの歴史は、1000年以上も前にもさかのぼります。
西暦966年には、スペイン人の旅行家が、ポーランドの豊かな食生活や森と農地、当時の統治者、MieszkoⅠ(ミエシュコ1世)に振る舞われた大量の蜂蜜のことや、「酔わせる飲み物」としての蜂蜜酒について記録しています。
蜂蜜酒作りは、主に、野性のハチが活動するにふさわしい気候であるかどうかに大きく左右されます。
それはワイン作りよりもさらに良好な条件が求められます。
10世紀以上前、ユダヤの商人、イブラヒム・イブン・ハコブとスペイン大使は、「ミエシュコ王子の国で飲んだMiód Pitny(蜂蜜酒)は、酔わせるワインだ」と記し、11世紀の変わり目を生きたポーランド人の歴史家、ガルウス・アノニモウスは、「我が国は、金と銀、パンと肉、魚とハチミツに満ちあふれている」と記録しました。
数世紀の間、蜂蜜酒は、富裕階級にのみ捧げらる貴い飲み物だったのです。
§ 国民の生業としての蜂蜜酒の歴史
しかしながら、彼らのレシピは、特に16世紀から17世紀にかけて、庶民にも幅広く知られるようになりました。
蜂蜜酒は、気候の影響からワインとなる葡萄が生育しなかった中欧および北欧において、最も歴史の古いアルコール飲料であると考えられています。
ポーランドでは、蜂蜜酒は「美味しいリキュール」と評判高く、主に、修道院と貴族階級の間で愛飲されてきました。
Piast and Jagiellonian ピアストとヤギエロニアン王家のお気に入りの飲み物でもあった蜂蜜酒は、「The Trilogz(トリロジー)」という書物の中で、ヘンリク・シエンキエヴィツによって記された17世紀の有名な騎士、Zagłoba(ザグウォバ)によって絶賛されています。
このザグウォバは、成熟した、非常に強い蜂蜜酒を、いつもカゴ入りの細口ビンに携帯し、必要な時には元気づけに一杯やっていたと言われています。
このように、蜂蜜酒は、ポーランドの伝統的な飲み物であると同時に、我が国の重要な文化遺産の一つなのです。
17世紀の後半、ポーランドの蜂蜜酒製造は、ロシア、プロイセン、オーストリアなどによる「国土分割」による影響で、政治的にも経済的にも打撃を受け、何度も下降しました。
この厳しい状況は、第二次大戦後、伝統的な手法による蜂蜜酒製造が復活するまで続きました。
§ ポーランドにおける蜂蜜酒製造の位置づけ
ポーランドにおいて、蜂蜜酒製造の技術を向上することは、非常に重要な課題と言えます。
しかしながら、蜂蜜酒の製造には、非常に注意深い管理が必要とされます。
ポーランドは、蜂蜜酒を工業レベルで製造している世界で唯一の国です。
いわば、蜂蜜酒Miód Pitnyは、ポーランドを象徴するアイデンティティの一つなのです。
編みカゴ入りの細口ビンに入れた蜂蜜酒を楽しむシュラフタたち。
肥ったおじさんが有名な豪傑Zagłoba(ザグウォバ)です。
映画「Pan Wołodyjoowski」より。
詳しくは、「歴史映画の中のMiód Pitny ~貴族文化と農民の暮らし~」でどうぞ。







